
パリの部屋には未だにテレビを置いていますが、2~3年前だったか、回線の契約を解除しました。その時点で、数年以上テレビを見ていなくて、契約料が勿体ないと思ったからです。僕的には、テレビを必要とする生活は完全に終了。実家では、僕が食事を作っている時、父親は決まって横でテレビを見ているのだけれど、100歩譲ってNHKだったらまだしも、ガチャガチャと騒がしい民放の番組を点けられるとイライラしてしまいます。入院前の母親も、それについて毎日のように愚痴をこぼしていました。それで、有無を言わさずチャンネルをNHKに変えるのだけれど、そもそも、NHKもガチャガチャしている番組の割合が多くなった気がし、最近のチコちゃんは見ていてとても辛い。テレビはYouTubeのような幅広い選択肢が無く、そんなものに対して受信料を払う必要があるのか(受信料は父親が払っているのだけれど)、と思い、そこから思考は極論に飛び、「そもそもテレビなんて要らない」と心から思ってしまうのです。ということで、実家ではテレビのコードをハサミで切り刻んでやりたいという衝動に何度も駆られています。テレビは虚構であるという認識を持っていれば良いのだけれど、外圧によって様々な規制を掛けられている媒体が発信する情報を全て正しいと信じ込んでいる父親のような人間がわずかながらも存在していて、そういった類の人々の根拠のない自信と横暴さが世の中を駄目にしています。僕が小さい時分には、「テレビを見ると馬鹿になる」と言われていて、今、同じことを父親に言ってはいるのものの、どこ吹く風。とあるYouTubeのチャンネルで、「テレビは時報と熊出没情報しか信じなくていい」というコメントを見つけ、思わずクスリとしてしまいました。住んでいる地域によって必要な情報に違いが生まれるのでしょうが、僕の場合は何一つ要らない。とにかく、テレビの信頼度の落ちようは加速度的で、昨年とも違う気がします。そんなことを言っている僕も、折角なので紅白歌合戦は予約録画するつもり。でも、拾い見するだけで、全部は見ません。時間の無駄。世の中は、正しい方向に変わり続けているのでしょうかね。

さて、本日はこちら。パリ市内の古物市で見つけた、ルートヴィヒ・ツェプナーがデザインをした花器です。以前ご紹介している
ルートヴィヒ・ツェプナー・デザインによるマイセン窯の白磁花器と同じ時代、1960~80年代の作。

こちらはウニが乗っているようなデザインで、この種の物を目にすると、条件反射的にクウェート・タワーを思い出してしまいます。小さい頃の刷り込みは根深い。良く見ると、シャネルのロゴのような、Xのようなモチーフが入っています。型で抜いているとはいえ、マイセンの技巧の高さを感じさせます。次回以降のイベントにて再デビューの予定。是非ご注目下さい~。
父親のせいで病院へ行く時間がどんどん遅くなっています~
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